過去世(前世)のお話

こんにちは。カウンセリング ラウア伊藤です。
「ブログを毎日更新することは仕事です」とサポーターにご指導いただいておりましたが、奈良県への出張やイベントなどが重なり、久しぶりの更新となりました。

ラウアでは一般的な臨床心理士とは違うカウンセリングもしているため、「過去世(前世)って本当にあるんですか?」と聞かれることも多くあります。
そこで今日は、ラウアで行っている「ヒプノセラピー」や「スピリチュアルケアカウンセリング」に関わる『過去世(前世)』についてお話したいと思います。

過去世(前世)は、あるのか? ないのか?
これは霊はいるのか? 魂はあるのか? 死後の世界はあるのか?と同じ質問になると思うのですが、証明できることではないので個人的な信仰や信じる意思に委ねるしかありません。

けれども、過去世を知る(もしくは過去世という架空のストーリーを通して)ことで、現在置かれている立場の理解が深まり、自分のなかでわだかまっていた問題や葛藤と折り合いをつけることができて生きやすくなったり、これまで許せなかった出来事や人を許すことができたりします。
その結果、個人差はありますが、今世での使命や役割に気づくことができて、現実世界を生きやすくなる効果が見られます。

私自身の体験では、現在の「伊藤美由紀」に大きく影響を与えている過去世(前世)は4回(人)ありました。
年代の古い順からいくと
①約4,500年前の古代出雲地方で「シタテル」(女性)という役職の巫女をしていた。
②約2,000年前、現在のトルコのエフェソスでアルテミス神殿に使える巫女(女性)をしていたが、キリスト教の使徒と出会い、洞窟に隠れる生活をする。
③西暦742年頃、現在の奈良県葛城市に生まれ、20代前半に吉野山で死亡。男性で笛吹連(ふえふきのむらじ)の一族だった。
④第二次世界大戦?の頃、ポーランドか東欧生まれの少女。ユダヤ人ではなかったが、ナチスドイツの兵隊に捕まり、超能力や霊能力の人体実験の最中に死亡する。

不思議なことに、私はこの過去世(前世)の情報をかなり詳しく知っているのです。
そして、今世でもこの4人の人生をミックスしたような同じような人生を歩んできました。
私にもっと文才があったならば面白いファンタジー小説を書けると思うのですが、残念です。

今日は「①約4,500年前の古代出雲地方で「シタテル」(女性)という役職の巫女をしていた」を取り上げてみたいと思います。

まずは、何で約4,500年前と時代がわかるのかというと、小さい時からなぜかとても縄文時代が大好きでした。好きが高じて一時期、県の埋蔵文化財センターで勤務していたことがあります。不思議なことに4,500年前の遺跡や遺物と接すると「分かる」のです!
理屈じゃなく、感覚としてその時代背景や文化が分かり、懐かしくさえ思えます。

「シタテル」という名は、古事記や日本書紀のなかに出雲大社の主祭神 大国主命と、宗像大社の女神 多紀里比売命の娘「下照比売命」「高比売命」として登場してきます。天稚日子との物語や、古代の葬儀の様子「鳥巫女伝説」などが書かれてありますが、天照大神に対する下照という意味合いもあり、謎の多い女神とされてきました。

「シタテル」との出会いは、19歳のとき崖から転落し、胸椎を圧迫骨折する大怪我をして寝込んでいるとき、夢うつつのなか突然、古代の男性の姿をした人から「シタテルー!」ーと呼ばれたことがきっかけでした。はじめは夢だと思っていたのですが、この現象は一週間続きました。当時は「下照比売命」という存在を知らなかったので、何のことやら分からずにいたところ、知人から古事記の話を聞き、初めて彼女の物語を知りました。
すると、どうしようもなく出雲に帰りたい衝動に襲われたのです。私は山形市に生まれ育ちましたので、当時、出雲(島根県)には親戚も知人も誰もいませんでした。

怪我の回復とともに自然と忘れていったのですが、いつの間にかあるルートでは私は「山形のシタテルちゃん」とあだ名され、出雲のとある神社の社家にも伝わっていました。そして不思議なご縁が重なり、23歳のとき出雲の神社の巫女となり、そのままそこの神主と結婚させられました。今世では、結婚したことで出雲の人間になったのです。

式内社ということもあり、出雲のなかでも由緒あるお宮でしたので、出雲の裏歴史とでもいえる伝承や八雲琴(出雲琴、二弦琴)などいろんなことを学ばせてもらいました。暇を見つけてはシタテルを祀ってあるお宮や史跡を訪ね歩き、いろいろと調べましたが、しかし、当時は今一つはっきりしないまま過ごしていました。

私の記憶にあるシタテル物語はこのようなものです。

出雲のとある村の村長の娘として生まれました。当時の政治は神祭りを大事にしながら村としての団結を保っていたため、神の言葉を託宣する「巫女」の存在は大切にされたのです。そのため、幼少期より巫女の素質のある子どもたちは「巫女村」に集められ、村人から隔離され養育されていました。
年に数回行われる村祭りの日だけは、村人たちが巫女村にやってきて、一緒に祭りを行い、巫女たちは託宣を伝えたり、今年生まれた村の子どもに祝福を与えたりすることが主な仕事でした。
巫女たち(男の子もいました)は小さいときから家族と離されて暮らしてきたので、村祭りの日は家族と会えるときでもある一方で、村の娘たちのように自由に生きられない苦しさや悲しさを実感する日でもありました。

巫女たちにとって悲しい現実がありました。それは作物が実らなかったときや、疫病が流行ったときなど村人にとって不幸が続くとき、巫女たちは人柱として神に命を捧げなければなりませんでした。

巫女たちはある一定の訓練期間を終えると、それぞれの神様の役が与えられ、その神様の働きの名前で呼ばれるようになります。私の場合それが「シタテル」でした。

日に日に出雲族と天孫族との戦が激戦し、巫女の託宣が重宝されましたが、ある日、その託宣が正しく伝わっておらず、政治的に利用されている事実を知りました。父である村長に抗議しましたが、父は黙っているばかり。もうすでに出雲国内での権力争いは歯止めがきかない状態まで悪化していました。

次々と村が焼かれるなか、私は巫女村の仲間たちに巫女村から逃げるよう提案しましたが、賛否両論のなか追ってが迫ってきたので、最終的に私たちは逃げました。

逃げた先々で私たちをかくまってくれた人々に薬草の知識や機織りの技術などを伝えたので、その土地の人々からとても感謝されました。
けれども追われる身でしたので、安住できませんでした。

ある日、とうとう追ってに見つかり連行されましたが、私は敵と思っていた天孫族に追われていたのではなく、同じ身内の出雲族に追われていたのです。出雲を裏切り、国を滅ぼした罪を着せられ、湖の神への生贄とされました。

過去世の物語から始まった今世での出雲での生活。今世でも同じように神に仕えて琴を弾き、舞を舞い、石占いをして託宣をしています。
このように、過去世での思いや特徴は今世に持ち越すことが多くあります。

シタテルの過去世では「出雲へ帰りたい」という強い思いと、「あの時何があったのか真実が知りたい」という思いがありました。

次回は、②約2,000年前、現在のトルコのエフェソスでアルテミス神殿に使える巫女(女性)をしていたときのお話です。

つづく