過去世(前世)のお話 2

こんにちは。カウンセリング ラウア伊藤です。
過去世(前世)のお話、前回は「①約4,500年前の古代出雲地方で「シタテル」(女性)という役職の巫女をしていた」をお送りしました。
お陰様で沢山の方から好意的な反響をいただき、それまで公表することを恐れていたことが杞憂だったということに気づくことことができました。
私にとっては自分の成長や、今世でのお役目に気づくためには避けては通れなかった過去世の物語でしたが、このファンタジーを通して、皆さまのなかでも気づきや魂の目覚めのきっかけとなれば幸いです。

さて本日は、「②約2,000年前、現在のトルコのエフェソスでアルテミス神殿に使える巫女(女性)をしていたが、キリスト教の使徒と出会い、洞窟に隠れる生活をする」をお送りいたします。

中東の砂漠地帯で、貧しい遊牧民の女の子として生まれました。
当時の家族は、お爺さんと、両親と、弟と生まれたばかりの妹がいました。
生活は貧しかったですが、私は毎朝、お母さんが石窯で焼いてくれる平べったくて丸いパンが大好きでした。
私が5歳になる頃、お爺さんと二人で買い出しに行っている間に盗賊がやってきて、家は焼かれ、家族は皆、殺されてしまいました。
お爺さんから「女の子だとわかると人さらいに合うから」と言われ、生まれてから一度も切ったことのないお下げにしていた髪を太いナイフで短く切られ、顔に泥を塗り、みすぼらしい乞食の恰好をして、お爺さんと二人で逃げました。

乾燥した岩山沿いを歩きながら、夜になると岩の隙間に身を潜め過ごしました。
家族を殺されたショックでパニックになって泣き出すと、お爺さんは私を抱きしめ、部族に伝わる古い歌を歌ってくれました。

お爺さんはいつもバイオリンや胡弓のような弓で弦を弾く素朴な弦楽器を持ち歩いてました。
お爺さんはその楽器を弾きながら、部族に伝わる昔話や、星座にまつわる神々の話を教えてくれました。
けれども、そんな逃亡生活も一か月は続かなかったと思います。
盗賊に見つかり、目の前でお爺さんは殺され、私は連れて行かれました。

連れていかれた先には、あちらこちらから誘拐されてきた子どもたちが沢山いて、子どもたちは奴隷市場で売るために集められていたのです。
奴隷市場に連れて行かれる前に体を洗うため服を脱がされ、女の子だということがばれてしまい、私はトルコのエフェソスの商人に売り飛ばされました。

はじめはどこかのお屋敷で雑用をさせられていましたが、12歳頃、今度はアルテミス神殿の巫女に売り飛ばされました。
この当時の風習では、巫女といっても清らかに神に仕える存在ではなく、神殿娼婦の役割もあったのです。
巫女仲間は皆、同じような境遇の子どもたちです。逃げ出したくても神殿娼婦をしたものは社会的には差別されていた立場ですので、一般社会では生きていけませんでした。

それでもアルテミス神殿に使える巫女ですので、タンバリンやフレームドラムを叩きながら歌い、舞いながら祈ることを練習させられました。
私にとってこの祈りの練習は苦ではなく、上達も早かったことから、あっという間に巫女の中でも上部の巫女になりました。

上部の巫女になったことで、個室を与えられ、生活環境は良くなったものの、卑しい囚われの身には変わりありません。
たまの休日や息抜きに、神殿近くの水辺に行って一人の時間を過ごすことが唯一の楽しみでした。

ある日のこと、いつもの水辺に見慣れない男性が座っていました。岸辺の草むらに座って、湖を眺めている横顔がなんだか寂しそうに見えたので、印象深く残っています。またあくる日も同じ場所にその男性がいたので、こちらから話かけてみました。
私の煌びやかな服装から、こちらから名乗らなくとも神殿の巫女であることはわかってしまいます。
不思議と急に身の上話をしたくなって、これまでのことを話していました。その間、その男性は静かに話を聞いてくれ、最後にたった一言だけ「古い神々の話を忘れないように」と言われました。
それから数日後、この男性はキリスト教(当時は異教徒とか、テロの犯罪者のような扱いを受けてました)の使徒であることが知られ、街の人に捕まって殺されてしまいました。

この事件をきっかけにして、私のなかで何かに導かれるように、後先も考えず神殿から逃げ出しました。

街の中にいてはすぐに見つかってしまうので、郊外の砂漠地帯の岩山を目指して逃亡しました。途中、キリスト教徒の使徒たちと出会い、その後は共に岩山の洞窟内で一緒に生活をしながら、毎日一緒に祈り、師の教えを羊皮紙に書いていきました。洞窟の暗闇のなかでの作業でしたので、暫くすると目が見えなくなり、そのまま亡くなった気がします。

不思議な感覚なのですが、この当時のキリスト教と、今のキリスト教の教えは違うのです。
当時、私が学び、羊皮紙に書いていた内容は、どちらかと言うと今では異端とされているグノーシス派に近いと思います。
ですので、現代のキリスト教の教義になっている「神のひとり子、主イエス・キリスト」イエスのみがこの世の救世主という思想には、どうしても馴染めないものがありました。

このときの過去世で思い残したことは「古い神々の話を忘れないように」と言われたこと。
お爺さんから教わった部族の伝承も大切ですが、それとは何か違う「古い神々の話」がずっと引っ掛かっていました。
そして、この思いは次の「③西暦742年頃、現在の奈良県葛城市に生まれ、20代前半に吉野山で死亡。男性で笛吹連(ふえふきのむらじ)の一族だった」の転生まで持ち越すのでした。

つづく

 

 

 

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